歴史

料理して、たどり着いた先は。Traveling with cuisine

Jun Chii 地井潤

 大阪で生まれ育ち、公邸料理人として活躍してきたシェフ、地井潤。 世界を舞台に活躍してきたその公邸料理人が、この小林に『kokoya de kobayashi』をオープンさせました。 彼がこの地に来たのには、どうやら約70年以上前からつながっているルーツと多くのご縁に導かれていたようです。


 宮崎県小林市は地井シェフの祖父の出身地であり、母の房江さんが若い時期に10年間を過ごした場所。 父との結婚を機に大阪へと移り、母は家計を支えるべくお好み焼き屋『ここや』を開店させたそうです。 その後、『ここや』は大衆食堂へと姿を変え、少年だった地井シェフも両親の食堂を手伝います。 皿洗いから出前、料理をこなす日々。地井少年は料理の面白さに目覚め、必然のように料理人を目指すようになりました。

食のルーツ、大阪「ここや」前にて。後列中央、両親の間に立つのが少年時代の地井シェフ
食のルーツ、大阪「ここや」前にて。後列中央、両親の間に立つのが少年時代の地井シェフ

 高校を卒業して辻学園、日本調理師専門学校に進んだ後、ホテルやレストランなどで経験を積んでいた地井シェフ。 そんな彼に転機が訪れます。専門学校時代の恩師からの公邸料理人への誘いを受けたのです。 シェフは滅多にないチャンスと、公邸料理人への道に進みます。そして3カ国の公邸料理人を務め、帰国。 その後はレストランの総料理長をはじめ、ソムリエなど国内にフィールドを移していきました。 こうした活躍にもやはりシェフを支えてくれていたのは恩師や知人たち。 次のステップを踏みたくなるタイミングでいつも周りが活躍のステージを提供してくれてきたのです。

左:在オーストリア日本大使公邸料理人時代、右上:在フランス日本大使公邸料理人時代、右下:大阪『赤白』時代
左:在オーストリア日本大使公邸料理人時代、右上:在フランス日本大使公邸料理人時代、右下:大阪『赤白』時代

 小林へ来るきっかけを与えてくれたのも専門学校の恩師でした。 病気を患っている母を、親戚も多く、長年を過ごした自然豊かな小林市へ連れて帰れないかと模索している地井シェフに、小林市が「食と農の魅力創生事業」を担う料理人を探しているという情報をくれたのです。

 そして2018年5月7日、母と一緒に看板を掲げ、テープカットをする夢が叶いました。 小林の季節感、素材の味、料理で美を彩ることができることを伝える、食の拠点『kokoya de kobayashi』の誕生です。
 その日以降、多くのお客様に来店いただき、2019年4月13日にはオープン1周年を前に来店客数1万人を突破。 オープン以来、小林の食と風土が醸し出すテロワールを広く伝える日々。 その間にはこの小林との“結の源泉”である母を見送りましたが、その母からもらったタスキを引き継ぎ、料理というツールで小林が輝くために力を注いでいきたいと地井シェフは考えています。 母が初めて日本の地を踏んだ小林で、母から教わった料理のベース。公邸料理人で培った和と洋のコラボ。 ワインに合う料理。集大成を小林に注ぎ込む想い。

母(中央)とともにKokoyaの暖簾を開いた地井シェフ
母(中央)とともにKokoyaの暖簾を開いた地井シェフ

 料理と旅してたどり着いた、母の故郷。そこで根づき始めた『kokoya de kobayashi』。
 ここには、地井シェフの軌跡が詰まっています。

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